講義ノート

耳鳴りと「耳鳴り感」の正体――神経学から紐解く、実態のない苦痛へのアプローチ

受講日:2025年10月

臨床現場において、しびれ、めまい、耳鳴りは「局在神経学」の三大難所と言える。中でも「耳鳴り」は、外部から客観的に確認できる指標に乏しく、施術者が最も頭を悩ませる症状だ。しかし、神経の走行や発火の機序を論理的に整理すれば、闇雲な施術ではなく、確実な一歩が見えてくる。

一、「耳鳴り」と「耳鳴り感」は似て非なるもの

まず定義を明確にする必要がある。神経学的に見れば、耳鳴りとは「聴覚神経系が静止時に発火頻度を高めた状態」を指す。対して、耳鳴り感とは「実際には神経発火が起きていないにもかかわらず、耳が詰まったような違和感を覚える状態」である。

この違いを無視して「耳鳴り」という言葉で一括りにすると、治療戦略を完全に見誤ることになる。患者への問診では「プールで耳に水が入ったような感じか?」と具体的に問い、患者の主観を限定していく作業が不可欠だ。

二、三叉神経と「耳管(じかん)」の関係

臨床で非常に多いのは、実は「耳鳴り感」である。エレベーターで急上昇した時や風邪を引いた時に感じる、耳がボワンとこもる感覚だ。これは耳の奥にある「耳管」の閉鎖が原因であることが多い。

ここで重要なのが、耳管を開閉させる筋肉「口蓋帆張筋(こうがいはんちょうきん)」が三叉(さんさ)神経の支配を受けているという事実だ。顎(あご)の歪みや噛み締めが強い患者に対し、顎関節(がくかんせつ)の調整や三叉神経へのアプローチを行うことで耳鳴り感が劇的に改善するのは、この解剖学的な裏付けがあるからだ。病院で血流改善剤を処方されても治らない耳鳴りの多くは、この機能的な問題に起因している。

三、小児の中耳炎と「刺激のチョイス」

講義の中で強調されたのが、子供の中耳炎への向き合い方だ。急性の中耳炎には抗生物質が必要だが、繰り返す慢性中耳炎の場合、問題は雑菌ではなく「耳管の排泄機能」にある。

小児へのアプローチにおいて、無理な矯正(クラッキング)は不要であり、むしろ避けるべきである。三叉神経や顔面神経に対し、角膜反射(かくまくはんしゃ)を応用したソフトな刺激を与えることで、耳管の機能を正常化させることができる。テクニックの「型」ではなく、**「どの神経線維に、どのような刺激を入れるか」**というチョイスこそが、プロとしての極意である。

四、脳が「偽の音」を作り出すメカニズム

一方で、感音(かんおん)性の耳鳴りはより複雑だ。データによると、耳鳴りを訴える方の約90%に何らかの難聴が認められる。特定の周波数の音が聞こえなくなると、その音を処理していた脳の領域(聴覚野)は「刺激の飢餓状態」に陥る。

神経は、酸素・栄養・刺激の三要素が欠乏すると、ATP(エネルギー)産生が低下し、ナトリウム・カリウムポンプがうまく働かなくなる。すると、膜電位(まくでんい)が脱分極(だつぶんきょく)方向に傾き、ほんの少しの刺激、あるいは刺激がなくても勝手に発火を始めてしまう。これが「キーン」という高音の耳鳴りの正体だ。つまり、耳鳴りは脳が失った音を補おうとする「懸命な努力の結果」とも言える。

五、臨床的アプローチ:ウェーバー試験の活用

局在を特定するためには、音叉(おんさ)を用いたウェーバー試験(Weber test)が有効である。頭頂部に振動を与えた際、音がどちらに響くかを確認する検査だ。

伝音性障害(耳管閉塞など)がある場合: 障害のある側(聞こえにくい側)に音が大きく響く。

感音性障害(神経・脳の問題)がある場合: 健康な側(正常な側)に音が大きく響く。

大きく聞こえた側の「直上(ちょくじょう)」の大脳皮質が低下しているのか、あるいは伝達経路に問題があるのか。理屈だけでなく、このマニュアル的な基準を入り口にして、神経経路を一つずつ辿っていくことが重要である。

六、「手書きの記録」が脳を上書きする

慢性的な耳鳴りや、心理的要因(中枢性)が絡むケースにおいて、最も強力な武器となるのが「レコーディング(記録)」による治療だ。患者に、いつから、どのような状況で耳鳴りが起きたかを、必ず手書きで詳細に書き出してもらう。

スマートフォンの入力では脳はフル回転しない。あえて手書きを勧めるのは、指先の複雑な動きが脳を広範囲に活性化させ、古い記憶や感情を整理しやすくするからだ。文字に起こすプロセス自体が、過敏になった脳を沈め、神経の異常興奮を抑える「脳の再学習」として機能する。

結びに代えて:神経の「三要素」に立ち返る

耳鳴りという実態のない症状に対し、我々ができることは「魔法のテクニック」を振るうことではない。患者の神経系において、どこで酸素が滞り、どこで刺激が不足し、どこで代謝が乱れているのかを、細かな問診と検査で絞り込んでいくことだ。

「なぜその音が鳴っているのか」という背景を読み解くことができれば、患者の不安は和らぎ、神経系は再び正常な軌道へと戻り始めるのである。耳鳴り治療の本質は、対症療法ではなく、脳と神経の「環境整備」にあると言えるだろう。

情報源

講師: 丸山正好先生(ニューラルヒーリング院長)

講座情報: 局在神経学講座(主催:科学新聞社)

受講期間: 2025年10月

本記事は、上記講座で学んだ内容を著者が個人的に整理し、一般向けに噛み砕いてまとめたものです。

補足学習に使用した教科書・文献

  • Kandel ER, Schwartz JH, Jessell TM, et al. Principles of Neural Science. 5th ed. McGraw-Hill; 2013.
  • Fitzgerald MJT, Gruener G, Mtui E. Clinical Neuroanatomy and Neuroscience. 7th ed. Elsevier; 2016.

免責事項: 本記事は学習目的で作成されたものであり、医学的診断・治療の代替とはなりません。医学的な判断が必要な場合は、必ず医療機関にご相談ください。

図解

伝音性(耳管閉塞)と感音性(神経系異常発火)の違いを示す図解
伝音性(耳管閉塞)と感音性(神経系異常発火)の違いを示す図解